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1986年
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15歳でスクーターレースを始める。以来高校3年間、ホンダ南九州ミニバイクレース選手権に参戦。No1レーシング所属(徳留和樹選手の実家のバイクショップチーム)1988年にNSRクラスチャンピオン獲得。 |
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1989年
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高校卒業と共に鹿児島を離れ、元HRC
MXライダーの経営するバイクショップへ就職。レースへの取り組み方を学ぶ |
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1990年 |
RS125を購入しロードレースデビュー。鈴鹿サンデーロードレース選手権参戦開始。
現TSRの藤井監督率いる名門テクニカルスポーツに見出され、1993年まで在籍。 |
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1991年 |
鈴鹿サンデーロードレース選手権へ参戦し、GP125・GP250・F−3・SP250と多彩なマシンに乗り、徐々に頭角を現す。 |
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1992年
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国内A級昇格。スーパーカップ選手権GP125クラス初代チャンピオン獲得の他、3つの選手権でチャンピオン獲得。 |
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1993年
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国際A級昇格。全日本選手権へフル参戦。GP125クラスランキング3位
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1994年
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RACING SUPPLYへ移籍し、世界GPフル参戦。GP125クラスランキング8位 |
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1995年
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TEAM DITTER PLASTIC(ドイツ)へ移籍しapriliaを駆る。ブラジルGPでグランプリ初優勝!GP125クラスランキング7位
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1996年 |
年間最多ポール・最多勝の4勝をマークするがマシントラブルに悩まされ、惜しくもGP125クラスランキング2位となる。 |
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1997年
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DOCSHOP RACING(オランダ)へ移籍。GP125クラスランキング5位 |
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1998年 |
GP125クラス7位 |
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1999年 |
DEE CEE JEANS RACING(オランダ)へ移籍しTSR‐AC28Mを駆り250クラスへ参戦。GP250クラスランキング18位
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2000年 |
世界GP500クラスへ参戦予定であったが、諸条件が整わず参戦を断念。 |
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2001年 |
全日本選手権へ復帰。TEC2にてTZ125を駆り、GP125クラスランキング14位 |
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2002年 |
Jレーシングより全日本選手権GP250へ参戦。TZ250を駆りGP250クラスランキング12位 |
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2003年 |
全日本選手権GP250クラスランキング4位 |
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2004年
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全日本選手権GP250クラスランキング6位 |
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2005年 |
全日本選手権GP250クラスランキング8位 |
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2006年 |
FRSより全日本選手権GP125クラスへ参戦。ランキング11位。 |
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2007年 |
Feel&Tec.2より全日本選手権GP125クラスへ参戦。ランキング2位。
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2008年 |
全日本選手権GP125クラス ランキング2位 |
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2009年 |
全日本選手権GP125クラス ランキング2位 |
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2010年 |
TEAM Allianceより全日本選手権 J-GP3クラスへ参戦。ランキング7位 |
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2011年 |
全日本選手権J-GP3クラスランキング2位 |
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2012年 |
MuSASHi RT HARC-PRO.より全日本選手権J-GP3クラスへ参戦。シリーズチャンピオンを獲得 |
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2013年 |
Tome team PLUSONEよりJ-GP3クラス参戦。ランキング8位 |
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2014年 |
全日本選手権J-GP3クラスランキング4位 |
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2015年 |
同J-GP3クラスへ参戦。チャンピオンを狙う。 |
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