徳留真紀プロフィール
名前
徳留真紀
ふりがな
とくどめ まさき
クラス
全日本GP125
ゼッケン
4
出生年
1971年
誕生日
2月14日
出身
鹿児島県薩摩郡宮之城町
(現さつま町)
所在
三重県 鈴鹿市
身長・体重
163cm 55kg
血液型
A+
マシン
ホンダ NSF250R
タイヤ
Bridgeston
チーム名
Tome team PLUSONE
趣味

トライアル・ダートトラック
バスフィッシング

 

トクドメマサキ

TEC.2&Feel

 


 
    徳留真紀のレース戦歴  

1986年

15歳でスクーターレースを始める。以来高校3年間、ホンダ南九州ミニバイクレース選手権に参戦。No1レーシング所属(徳留和樹選手の実家のバイクショップチーム)1988年にNSRクラスチャンピオン獲得。

 
1989年

高校卒業と共に鹿児島を離れ、元HRC MXライダーの経営するバイクショップへ就職。レースへの取り組み方を学ぶ

 
1990年
RS125を購入しロードレースデビュー。鈴鹿サンデーロードレース選手権参戦開始。 現TSRの藤井監督率いる名門テクニカルスポーツに見出され、1993年まで在籍。
 

1991年

鈴鹿サンデーロードレース選手権へ参戦し、GP125・GP250・F−3・SP250と多彩なマシンに乗り、徐々に頭角を現す。

 

1992年

国内A級昇格。スーパーカップ選手権GP125クラス初代チャンピオン獲得の他、3つの選手権でチャンピオン獲得。
 

1993年

国際A級昇格。全日本選手権へフル参戦。GP125クラスランキング3位

 

1994年

RACING SUPPLYへ移籍し、世界GPフル参戦。GP125クラスランキング8位
 

1995年

TEAM DITTER PLASTIC(ドイツ)へ移籍しapriliaを駆る。ブラジルGPでグランプリ初優勝!GP125クラスランキング7位
 

1996年

年間最多ポール・最多勝の4勝をマークするがマシントラブルに悩まされ、惜しくもGP125クラスランキング2位となる。

 

1997年

DOCSHOP RACING(オランダ)へ移籍。GP125クラスランキング5位
 

1998年

GP125クラス7位

 
1999年
DEE CEE JEANS RACING(オランダ)へ移籍しTSR‐AC28Mを駆り250クラスへ参戦。GP250クラスランキング18位
 

2000年

世界GP500クラスへ参戦予定であったが、諸条件が整わず参戦を断念。
 

2001年

全日本選手権へ復帰。TEC2にてTZ125を駆り、GP125クラスランキング14位
 
2002年
Jレーシングより全日本選手権GP250へ参戦。TZ250を駆りGP250クラスランキング12位
 

2003年

全日本選手権GP250クラスランキング4位

 

2004年

全日本選手権GP250クラスランキング6位
 
2005年
全日本選手権GP250クラスランキング8位
 
2006年

FRSより全日本選手権GP125クラスへ参戦。ランキング11位。

 
  2007年 Feel&Tec.2より全日本選手権GP125クラスへ参戦。ランキング2位。
 
  2008年 全日本選手権GP125クラス ランキング2位  
  2009年 全日本選手権GP125クラス ランキング2位  
  2010年 TEAM Allianceより全日本選手権 J-GP3クラスへ参戦。ランキング7位  
  2011年 全日本選手権J-GP3クラスランキング2位  
  2012年 MuSASHi RT HARC-PRO.より全日本選手権J-GP3クラスへ参戦。シリーズチャンピオンを獲得  
  2013年 Tome team PLUSONEよりJ-GP3クラス参戦。ランキング8位  
  2014年 全日本選手権J-GP3クラスランキング4位  
  2015年 同J-GP3クラスへ参戦。チャンピオンを狙う。  
       
a
    徳留真紀のレース戦歴  
 

私がオートバイレースに興味を持ったのは中学生の時で、そのスピードとスリルそしてかっこ良さに惹かれ テレビやオートバイ雑誌に登場していた世界GPライダーに憧れていました。

 そして自分自身も、15歳の時に地元鹿児島で盛んに行われていたミニバイクレースを体験。 以来、高校の3年間はまさにレース漬けで、ほぼ毎戦毎勝で地元のミニバイクチャンピオンを獲得。 その頃からプロのライダーを目標とし、夢は大きく世界チャンピオンでした。

 本格的にレースを始めるため高校卒業と共に鹿児島を離れ、鈴鹿サーキットを中心にロードレースのキャリアを積みました。 色々苦難もありましたが支えて頂いた方々のお陰もあり、世界への道を切り開く事が出来、23歳で世界GPにデビュー。

 世界チャンピオン獲得には一歩及びませんでしたが、1996年には年間最多勝をマークし世界ランキング2位を獲得。 GP通算5勝を挙げ、1999年まで世界のトップランカーとして活躍しました。

 現在は国内の全日本ロードレース選手権へ復帰し、全日本チャンピオンを目標にレースに参戦しています。 レースをするからには、『常に一番になりたい』『自分を信じてやれば出来る』という気持ちはいつも同じです。 皆さん応援よろしくお願いします!